光と灯りを
考える

chapter

03

日本の灯り

今でこそ、基本的には白っぽくて開放感のある明るい空間が好まれますが、日本におけるその価値観は、高度経済成長によってもたらされた蛍光灯による白く明るい光への崇拝が発端となっているといえます。戦後復興の中で生まれた、蛍光灯による白い光は、人々にとっていわばこれからの未来を担う「希望の光」でした。経済成長とともに普及した白い光はあちこちを隅々まで照らし、いつしか私たちの中には、どこまでも隈なく照らされた均一な光空間が通念的な光の概念として根ざしていきました。その光は戦後の復興を大きく支え、日本の経済成長を大きく後押しする存在にもなりました。 その甲斐あって今では、朝でも夜でも、ほとんど時間に左右されることなく私たちは何の不自由もない生活を送ることができています。コンビニは煌々と24時間開いていますし、ネットは回線さえ繋がっていればいつでも私たちを必要な情報へと導いてくれます。
しかし、そんな中で「灯り」の持つ価値は少し霞んでしまったのではないでしょうか。「光」はあるのが当たり前で、光自体の持つ力や美しさを意識する機会は少なく、人々は無意識的に、ブルーライトを含めた様々な光に常時晒され、能動的に光を取り入れる必要はほとんどありません。キャンプなどに行って初めて、暗闇での「光」のありがたさを感じるのではないでしょうか。
とはいえ、近年では住宅においても多灯型照明へとシフトする流れもあり、灯りをもっと「愉しむ」という習慣も謳われるようにはなってきました。やっとこさ人々の間に光を意識する生活が広まってきてはいますが、それでも長年根付いてきた感覚から抜けだすには、相当な時間と強烈な意識が必要なのではないでしょうか。
実は、古来の日本の灯りのあり方を考えると、経済成長による光の普及は、いわば少し不自然なほど急速に私たちの文化に入り込んできたものであることがわかります。というのも、私たち日本人は、古来から光と陰をうまく操り、生活に取り入れ、そしてその光と陰のグラデーションに美しさを見出してきました。有名な谷崎潤一郎による「陰翳礼讃」という著書でも述べられているように、どちらかというと陰翳を消して隅々まで照らしたがる西洋の文化に比べて、日本はその陰翳を認め、利用することで日本独自の美学を様々な場面で築いてきたのです。
例えば谷崎によれば、漆器なども陰翳の中に佇んでこその美しさが光る。あたり一面が等しく明るく照らされた空間でみる漆器よりも、ほんのりと薄暗い場所にあってこそ漆器らしい艶めいた光沢が現れるのだと。確かに、明るいお店に並べられた漆器よりも、例えば薄暗いお寺や茶室で見る漆器の方が圧倒的に存在感を放っているのは容易に想像がつきます。陰翳の中にこそ艶めく光を見出す、それが古来から日本人の育ててきた独自の美学なのかもしれません。日本の灯り文化は陰翳なしには語れないのかもしれませんね。